「ライムライト」について                                                                            2008/05/10

 −原語で味わう人生哲学−

 

チャップリンの「ライムライト」は学生時代に何度か見て感動したものだたったが、歳月を経て見るこの映画への理解と感動は比ぶべくもなく深い。当時は専ら字幕の日本語に頼って見ていたが、今は原語の英語が字幕に出てくるので、その味わいは微妙に違う。

 

「ライムライト」が映画化されたのは1952年、チャーリー・チャプリン62歳の時であった。この映画はチャプリンの自伝的傑作ともいわれ、制作、監督、脚本、主演から、あの甘美な「テリーのテーマ」の作曲まで全て自身で手掛けた。

 

時代背景は1914年、第1次大戦勃発の年であるが、いつの時代にも人間に共通のテーマである内面的な「生きる」や「愛」が深遠に描かれている。ロンドンの下町のフラットに暮らすカルヴェロは嘗ては名喜劇役者として誰知らぬものはなかったが、今や嘗ての輝きはなく忘れ去られた一老芸人にすぎなかった。

 

生きることに絶望し、命を絶とうとした若きバレリーナに「生きる」ことの意味と願望とをカルヴェロが熱弁を振るって鼓舞する名場面や名台詞には、見る者を圧倒する迫力と説得力がある。ここでは、それらの幾つかを取り上げて紹介したい。

 

Stage 8

カルヴェロが、「病気くらいでどうして命を絶とうなどと思ったのか」とテリーに尋ねると、「すべてが虚しかったの。花を見ても、音楽を聴いても、人生が無意味に思えて...」と答える。カルヴェロは言葉を返す、「生きることは願望であって、意味ではない。願望は生命の根源だ」“Life is a desire, not a meaning.  Desire is the theme of all life!”  「バラはバラでありたいと、岩は岩でありたいと願って...」「意味をどう表現しても同じことの言い換えに過ぎない。バラはどこまでもバラだ」"However, the meaning of anything is merely other words for the same thing.  After all, a rose is a rose."

 

私達は、時に、挫折したり、日常の歯車にウンザリすると、「なんのために生きているのか」と自問することがある。しかし、それを追求すればするほど迷路に入り込み抜け出られなくなる。カルヴェロの単純明快な解答は彼の長い苦悩の果てに得られた発見であり、結論であったに違いない。

 

Stage 10

朝起きて、脚が麻痺して動かないことを知ったテリ−は泣きながら、「私が悪いんじゃないわ。あなたが私の命を救ったからよ」とカルヴェロを責めるが、彼が、「私達はお互いに過ちを犯したということだね」と受け流すと、素直に「ごめんなさい」と謝る。そして、自己の体験をまじえてのカルヴェロの名台詞が続く。

 

「あなたのような若い子が命を捨てるなんて、君はよくない。年をとると命が惜しくなる。希望がなければ、瞬間を生きればよい。素晴らしい瞬間だってあるのだから。私は6ヶ月前に死ぬことを諦めて、生きるために闘った」とカルヴェロ。「私は闘うのに疲れた」とテリ−。「自分と闘うからだ。諦めてはいけない。幸せのために闘うのは美しい」とカルヴェロは言葉を返す。

 “Because you’re fighting yourself. You won’t give yourself a chance.  But the fight for happiness is beautiful.”

 

“Happiness…”といぶかるテリーにカルヴェロは、すべての幸福の秘密はここにあると、自分の頭を指差しながら言う、“Listen, as a child I used to complain to my father about not having toys and he would say, this is the greatest toy ever created.  Here lies the secret of all happiness.” この台詞の意味は深く難解だが、今日の我々に警鐘を鳴らしているように思える。

 

子供は想像力の天才だ。今日の親は子供の欲しがるままに、工夫の余地のない完全なおもちゃをどんどん与える。当然、想像力の乏しい、忍耐力のない無気力な人間として成長する。つまり、親が、社会が、学校が子供の想像力や独創性、やる気を潰しているのだ。ここでカルヴェロは、「叡智」によって人は幸福になれる、と言いたかったのではないだろうか。

 

Stage 15

“Yes, life can be wonderful if you’re not afraid of it.  All it needs is courage, imagination and a little dough.”  “Continually dwelling on sickness and death!  But, there’s something just as inevitable as death and that’s life.”

 

カルヴェロは、人生に大切なものは「勇気」、「想像力」そして少しの「お金」だと言う。そしてテリーの過ちは、「生もまた、人間には避けられない事実」だということに気付いていないことだと指摘する。

 

カルヴェロは情熱を込めて叫ぶ、“Life, life, life!”  “Think of the power, that’s in the universe!  Moving the earth, growing the trees! And that’s the same power within you!  If you’d only have courage and the will to use it!” 「宇宙にある力が、地球を動かし、木を育てる。君の中にある力と同じだ。その力を使う勇気と意志を持つんだ!」(日本語字幕)

 

テリーはカルヴェロの迫力と説得力に圧倒される。自分を不幸だと思ったり、哀れだと思うのは、「知恵」が足りない。知恵を働かせて、生命を育む宇宙に思いを馳せ、人間が宇宙に生かされていることに気付きさえすれば、人はもっと謙虚になれ、「生」を愛しく思うようになるのだろう。

 

Stage 17

“You know, preaching and moralizing to you has really affected me.  I’m beginning to believe it myself.” 「君にお説教して私の目がさめた。自信が生まれてきた」(日本語字幕)とカルヴェロは言う。

 

華やかなりし芸人生活は去り、今は年老いて生きることに虚しさを感じていたのはカルヴェロ自身であった。テリーに向けられていた言葉は自分を奮い立たせるために自らに向けられた言葉でもあった。

 

Stage 20

劇場と一週間の契約で仕事を得たカルヴェロは、初日の公演で客に見捨てられ、劇場との契約も解除された。"They walked out on me.  They haven’t done that I was a beginner.  The cycle’s complete."  "They've terminated the contract."   テリ−は、1週間の契約だから抗議出来ると主張するが、カルヴェロは、"It’s no use. I’m finished. Through!” と、泣き崩れる。

 

テーリーの心は奮い立ち、その言葉はカルヴェロに向けられる。"Nonsense!  Are you, Calvero, going to allow one performance to destroy you?  Of course not!  You are too great an artist!  Now’s the time to show them what you’re made of.  Time to fight!  Remember what you told me standing there by that window?  Remember what you said?  About the power of the universe moving the earth?  Growing the trees, and that of power being within you?  Now the time to use that power, and fight!"

 

テリーは興奮のあまり立ち上がり、歩いていた。リューマチで動けなかった脚がしっかりとテリーを支え、歩いていたのだ。テリーは叫んだ。”Calvero, look!  I’m walking!  I’m waking!  I’m waking!  Calvero!  I’m waking!”  あらん限りの力を振りしぼって叫んだ。

 

ここから、テリーに転機が訪れる。テリーはバレリーナ−として脚光を浴び、帝劇のプリマとして活躍することになる。その間、以前、ほのかな恋心を抱いていた憧れのピアニスト、ネヴィルとも偶然再会し、彼からプロポーズされるが、テリーの心はカルヴェロに向けられ、一生をカルヴェロと歩みたいと願う。

 

Stage 33

“It’s something I’ve lived with, grown to.  It’s his soul, his sweetness, his sadness….  Nothing will ever separate me from that.” 

 

ネヴィルの出征の前夜、フラットの前で彼女のカルヴェロへの気持ちが同情以上のものであると打ち明けたテリーの言葉は、穏やかにネヴィルの心に響いた。

 

Stage 34

テリーから結婚を申し込まれたカルヴェロは、テリーのいうことを相手にせず聞き流していたが、テリーの真剣な眼差しに当惑し、出て行くことを決意する。

 

“Wasted on an old man.  Terry, you’re like a nun, shutting everything else out for my sake.  It isn’t fair, wasting your youth.  You deserve more than this.”  “Let me go away.” 「年寄りにムダだよ。私のために青春を無駄にするのか。きみはもっと幸福に生きていけるんだ」「私は出て行く」(日本語字幕)。

 

自らをわきまえた人間、テリーの幸福を願うまっとうな人間、カルヴェロが見えてくる。

 

“I can’t help it!  If only had the strength to leave!  But I stay on, tormenting myself.  The whole thing is false.  In the few years I have left, I must have truth.  That’s all I have left.  Truth!  That’s all I want.  And if possible, a little dignity.” 「どうしても出て行く外ない。ここにいれば、自分を苦しめるだけだ。残された年月で真実をつかみたい。真実だ! それしかない。それが望みだ」(日本語字幕)。

 

自分が見えるカルヴェロにとって、テリーの求婚は彼を苦しめ、惨めにするだけであった。年老いて尚、人間としての尊厳を失わず、自らの力で前進しようとするカルヴェロの姿勢に心打たれる。

 

Stage 38

テリーのもとを去ったカルヴェロは大道芸人として生活の糧を得ていた。偶然、ネヴィルと劇場の支配人、ポスタントに出会い、憐憫の眼差しを注がれるが、カルヴェロはお構いないしに、「世界中が舞台だ。そして、ここはひのき舞台だ」と言い放つのだった。"Why not?  All the world’s a stage.  And this is the most legitimate."

 

嘗ての名声に胡座をかくことなく、老いても尚、額に汗して働くことを厭わない人間の凛とした姿勢こそ、カルヴェロの人生哲学であり、権威というものを嫌い、真実を見つめて生きるチャプリン自身の哲学である。

 

字幕について

数箇所にわたって日本語の字幕を引用したが、翻訳の字幕には限界がある。それは、むしろ、やむを得ないことだと思う。映画を見ている人は、画面と同時に文字を読まなければならないのだから、字幕は画面の移り変りに合わせて、簡単明瞭でなければならない。映画の筋書きを伝えることが第一条件になる。


次に、出演者の発する言葉をいかに忠実に分り易く翻訳するか、であるから映画の字幕は至難の業である。時に、前後関係が分り難かったり、訳し難いところは飛ばして、前後関係を繋げることもある。原語のもつニューアンスを出せないこともある。スピードを要求されるからだ。その例をヶ所だけ紹介する。

 

1.Stage 8 "Desire is the theme of all life!" これを字幕では、「人生はすべて願望だ」と訳しているが、例に出しているバラやなど人間以外の存在の意味が分り難い。"It makes a rose want to be a rose and want to grow  like that.  And a rock wants to contain itself and remain like that." 私見では、「願望は生命の根源だ」と訳したほうが、前後関係が繋がると思う。


"However, the meaning of anything is merely other words for the same thing." も字幕では、「意味をどう言っても中身は変らない」と訳しているが、「意味をどう表現しても同じことの言い換えに過ぎない」と訳したほうが、英語に忠実で分り易いと思う。


2.Stage 29  テリーの舞台での成功を祈るカルヴェロの言葉、"Whoever you are, whatever it is, just keep her going, that’s all." を日本語の字幕では、「お願いします。踊りを続けさせて下さい」と訳していた。正にそういう意味なのだが、カルヴェロの真剣な気持ちや言葉の豊かさが伝わってこない。

 

3.Stage 33  上記で既に引用した箇所であるが、"Terry, you’re like a nun, shutting everything else out for my sake." の訳は省略されている。テリーの置かれている状況や心境を的確に表現したカルヴェロのこの言葉は訳出する価値があると思う。

 

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